書くことで脳に新たなアンテナが立ち、新しいブログのネタが集まってきます。
読者のためにブログを書こう
―今回はどんなお話をしていただけるのでしょうか?
前回は文章を書くことによる脳の活性化、特に日記の効用についてお話ししました。今回は同じ日記でも世間に発信するブログについてお話しします。
ブログを書いている人は大勢いますが、みなさんはどのくらいの頻度で書いているのでしょうか? 私は週に3回、月・水・金曜日に更新しています。もちろんその日が祝日でも変わりません。最近になって156週を超え、4年目に突入しました。
よく不定期にブログを更新する人がいますが、それでは読者が増えません。私の同僚の医師も同じ時期にブログを始めましたが、不定期更新のため読者数にずいぶん差がついています。
―なぜブログをこまめに更新するのですか?
読み手の立場を考えてのことです。ブログを見に行ったときに更新されていなければ、次は見にいくことさえしなくなるものです。最近はフェイスブックとリンクさせてブログの更新を告知することもできますが、すべての人がフェイスブックを使っているわけではありません。直接ブログを訪れてくれる人のために定期的に更新することが大切だと思います。
―ブログのネタに困ることはありませんか?
ネタ切れを心配する人は多いようですが、だからといって出し渋っていてもしかたがありません。それに脳の働きを考えると、そんな心配は無用です。
なぜならブログを書くことで脳にアンテナが立ち、次から次へと新しいネタが集まってくるからです。反対にネタを出し惜しみすると脳にアンテナが立たず、自分の知っている情報が尽きたとたんに書けなくなってしまいます。
―「脳にアンテナが立つ」とはどういうことですか?
例えばある人が沖縄旅行に興味を持ったとします。するとテレビ・ラジオ・雑誌など、至るところに沖縄の情報が溢れていることに気付きます。これは沖縄の情報が急に増えたのではありません。受け手である自分に「沖縄の情報をキャッチするアンテナ」が立ったのです。
現代のように日々接する情報量が多いと、「見ているようで見ていない」「聞いているようで聞いていない」ことが増えます。だからこそアンテナを立てて意識的に受信することが必要です。
自分なりの「切り口」が大事
―面白いブログを書くコツがあれば教えてください
一つのことがらを経験したら、それをさらに調べてみることです。以前私はブログに映画『山本五十六』のDVDを見た感想を書こうとしました。とはいえ映画の感想を書いたブログは世に溢れています。
そこで山本五十六の名前の由来を調べてみました。すると彼は父親が56歳のときに生まれた子どものため「五十六」と名付けられたことがわかりました(ちなみに母親は45歳)。
また彼はアメリカの大学に留学した経験もあり、戦争に反対していましたがやむを得ず真珠湾攻撃の指揮をとったのです。この苦悩が映画の主旨でした。DVDの感想とこれらの情報を記載すれば、かなり充実した内容になるはずです。
これでブログを1回書いたら、次は自分なりの切り口で書けないか考えてみましょう。医師である私は『山本五十六』の食事風景に注目しました。
食事の内容はご飯、みそ汁、漬物と煮物。一家の長である山本五十六にだけ魚が添えられています。魚の一部を子どもや奥さんに分け与えていたものの、明らかに炭水化物と食塩の過多、タンパク質不足です。当時は血圧を下げる降圧剤がありませんので、脳出血・脳梗塞が多かったことが想像されます。
そこで当時の平均寿命を調べてみました。戦前は「50歳ライン」を超えることはかなわず、戦後の1947(昭和22)年の調査で初めて男女とも平均寿命が50歳を超えたようです。
現在の日本なら、50歳は現役真っ盛りです。そこまで生き長らえることが難しかった時代の背景には、食生活がかなり影響していたと思われます。それが戦後の環境整備・各方面の努力によって「平均寿命80歳前後」が成し遂げられたのです。この点は改めて認識する必要があるのではないでしょうか。
以上が自分なりの切り口で書いた2回めのブログとなります。
―ブログを書くときは自分のスタイルをつくることが大事なのですね
その通りです。何かを経験したら一歩踏み込んで調べ、さらに自分なりの切り口で書く作業を繰り返すと、ブログが難なく書けるようになります。
もちろんブログのネタがひらめいたときはすぐにメモをとったり、ICレコーダーに録音したりすることも忘れません。
ちなみに私はポッドキャストで話す内容も自分で考えています。1回10~12分、文字に換算すると1600字程度ですが、数時間で4回分の骨子を書いてしまいます。
せっかく世間に発信するブログですから、単なる日記にはしないでください。自分なりの切り口を加えて発信することに意味があるのです。個人の日記とブログを書き分けると、より深くものごとを捉えられるようになります。(了)