実業界で活躍する一方で、画家の支援をしたり、独自の茶道をおこなったり。生活自体を愛でた三溪ですが、関東大震災(1923年)が起きると横浜の復興に奔走しました。80年以上前にさかのぼる三溪の生き方やポリシー。その一端を紹介します。
2011年12月アーカイブ
前半は、横浜美術館特任研究員で、原三溪市民研究会の顧問でもある猿渡紀代子氏がゲストとなり、同会会長の廣嶋亨氏がインタビューをおこないます。研究会はどのようにして発足したのか?さかのぼること○年......はじまりは横浜美術館の展覧会企画でした。※音声内6:26付近の「横山大観とか、岡倉天心とか」などの「岡倉天心」は「下村観山」の誤りです。